和歌山城と南方熊楠生誕の地をたずねてみた
2018年の旅。
1月、仕事で和歌山地方裁判所に行きました。
予定の時刻まで時間があったので、地裁の近くにある和歌山城公園を歩きました。
和歌山城は徳川御三家の一つ、紀州徳川家の居城で暴れん坊将軍こと8代将軍吉宗を生んだ居城です。
かつての城下町には地裁のほか、市役所や県警本部、県立近代美術館などが集まっており、現代においても紀州の中心地なのですね。
将軍吉宗より時代は下り、幕末の頃。紀州和歌山はもう一人の偉人を生み出します。南方熊楠(みなかたくまぐす)は世界的な博物学者・民俗学者です。
慶応3年(1867年=大政奉還の年ですな)、この地に生まれ、幼少の頃を過ごしました。独学で生物学、特に粘菌類などの研究をきわめ、宗教学、民俗学、風俗学、環境保護にも多大な貢献をした知の巨人です。
同じ紀州白浜に南方熊楠資料館があり、数年前に旅行した時は白浜駅でレンタカーを借りると真っ先に訪れました。
平尾龍磨の潜伏した島に行ってきた
瀬戸内海の町に旅してきました。
しまなみ海道を渡った島。
4月から5月にかけて愛媛刑務所から脱走したリアル逃走囚、平尾龍麿が潜伏していた島。
隠れていたとされる岩屋山は地元の人にとっては「裏山」とよばれる身近な存在。
テレビ報道では、「1日も早く捕まって欲しい」、「子供を学校にやるのが不安」などという島民の声が紹介されていましたが、
実際に町のタバコ屋さんやパン屋さんで買い物しながらお話を聞くとそうでもない。
「そんなにココが気に入ったんなら住んでもろうたらエエ」
「盗みかけた車(実際にはてをつけず放置)に残されていた書き置きはとても几帳面できれいな字じゃったらしいで」
など、何となく好意的なエピソードが多かったです。
とはいえ、捜索や警備にあたった警察官、刑務官の方々のご苦労も大変なものだったでしょう。
本当にお疲れさまでした。
それはそれとして、この平尾氏、3週間もの間、どのように潜伏していたのか、手記を出版してくれないかな。
不謹慎かもしれないが、平尾氏のサバイバル技術は現代人に欠けている何かを教えてくれるような気がする。
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